上野の郷愁風景

三重県上野市【城下町】 地図  <伊賀市>
 町並度 6 非俗化度 4 −伊賀地方の中心地−
 



上野向島町の町並
 

 伊賀地方の中心である上野は忍者の里と松尾芭蕉の故郷として知られることも多いが、ここでは城下町の古い町並のみに絞って紹介する。
 中世からここに城が構えられていたが、本格的に町場が発達して商業も盛んになるのは江戸初期の慶長時代に津に入部した藤堂氏が、上野の地を大坂方面への防衛拠点として重視してからである。上野城の改築にあたっても西側を重点的に補強し、当時としては日本一の高さを持つ石垣を築いている。そして、城地の南には町家を規則的に配置し城下町を建設した。
 

 

上野中町の町並 


 伊賀の道は全てこの上野に収束していたようで、旅人はここで必ず馬継をしないといけない仕組になっていて、また木津川を遡る水運による物資の揚げ下ろしもあり、人と物資が集結する一大都市が築かれていったのである。
 現在も伊賀鉄道の上野市駅付近を挟んで北に上野城址、南側に城下町に由来する市街地が展開しており、面的に古い町並が見られる。特に城の外堀に平行する形でつくられた三本の東西の通りは三筋町と呼ばれ、城下でも特に特権のある商家が立地し税の免除などを受けて財力を蓄積した。
 その三筋町をはじめ、通りを歩くとあちこちに町家建築が残っているのがわかる。それらは決して大規模な商家建築ではなく、都市型の鰻の寝床状の間口の狭く奥行の深いもので、店舗として観光客に解放されているものもあるが古色蒼然とした虫籠窓を街路に向けている姿も多く見られる。私は小京都という言葉が嫌いだが、この町を歩いていると、家々の造作や街路の形態など、京都の町並に似た部分も多く感じられ、そう呼ばれるのも不思議ではないという気がしてくる。
 一方で、赤井家、入交家といった旧武家屋敷宅が保存され、公開されているのも城下町の遺構として貴重なものだ。
 市街地を歩いていると気付かないが、町は周囲から一段高い台地上に展開している。それは城下の西側の入口である鍵屋の辻辺りにかけて急坂になっていることや、上野城址東側の国道25号線沿いから北を仰ぐとその地形がよくわかる。木津川とその支流の合流点付近で、それらに囲まれた小高い丘に町が展開している。地図を見るほどに戦略的な意図を持って建設された町だということがよく理解できる。
 市街中心東部には、寺院を固めた片原町・寺町の界隈があり、ここにも防衛を主眼に置いた町の建設過程を垣間見ることができる。
 


  
上野福居町の町並 
 

 

上野忍町の町並(武家屋敷・赤井家) 
 

 

 上野相生町の武家屋敷・入交家  上野忍町の町並
   

2023.06再訪問時撮影       旧ページ

訪問日:2006.10.08
2023.06.03再訪問
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