和田山の郷愁風景

兵庫県和田山町<街道町> 地図 <朝来市>
 町並度 5 非俗化度 8 −旧街道沿いに残る町並 本卯建が多く残る−





和田山の町並 うだつを備えた旧家が多く見られる
 

 和田山町は但馬地方南部の中心的な町であり交通の要衝である。古くからその地位があり、正保年間(17世紀中期)の但馬国絵図には丹波国域から鳥取へ向う山陰街道と竹田城下町を経て播磨姫路に至る播但道が記されており、ここはその接点となっている。
 産業面では但馬一円で盛んだった養蚕の中心地の一つであり、但馬絹というブランド名で呼ばれていたという。その他桑・楮・茶や煙草などの産物に恵まれ物資の一大集結地となった。江戸中期には、町域を流れ日本海に注ぐ円山川に高瀬船が運航され流通経済の要としての位置を確立させた。
 和田山の市街地は、山陰本線の駅付近は商店のほとんどが閉まり空洞化が生じている一方、国道周辺に商業施設群が立地し、地方の町に生じた構造的問題の典型が見られる。一方、駅と国道沿いのいわゆる新市街地の間にあたる円山川左岸付近には街道集落的に古い町並が連なっている。町並の南端近くには「左 いせ 右 はりま」と刻まれた道標が残り、山陰街道と播但道の追分であったことを示している。かつては伊勢参りが人生の一大行事であり、伊勢への道標としたのだろう。こうしたことからも時代を感じさせる。
 宿駅としての機能があったかどうかは定かでないが、街道の追分近くに商業が発達したところであることは間違いない。町並で特徴的なのがうだつを立ち上げた旧家が目立つことだ。それも両妻部を持ち上げた本うだつで、見ごたえ感がある。本うだつは但馬地方の多くで見ることが出来るが、軒を接しない単独の家屋や土蔵に備わっていたりと、他の地方で見られるうだつとはやや異なる趣を示している例が多い中で、ここでは連なる家並であることから一般的なうだつのある町並という印象である。
 



 
 17年ほど間を空けての再訪であったが大きく更新された箇所は少ないように思えた。一部には町家建築を店舗に転用した例などもあり、町並や旧家を認識されている様子がうかがえた。
 町並南端付近に残る追分の道しるべ  
 



 
   
 



 
  喫茶店に転身した町家 

2021.06再訪問時撮影        旧ページ


訪問日:2004.03.20
2021.06.27再訪問
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