山崎の郷愁風景

兵庫県山崎町<城下町> 地図 <宍粟市>
 
町並度 5 非俗化度 7
 −碁盤目状の町割が今に残る旧城下町−




山崎の町並



 播磨地方の中部やや西寄り、中国自動車道の通る山崎町は宍粟郡の中心として各省庁も集まり国道沿いを走ると地方の小都市といった開けた印象を受ける。高速道を活かし近年には商工業も集積している。
 中世に山城が築かれていたこの山崎では、その後元和元(1615)年に池田氏が城主となり、6万余石を統治する山崎藩が成立した。城は平城で揖保川西岸の低平な地に移り、城下町は城の北側の山裾に建設された。


登録有形文化財・梶間家
 

 揖保川における高瀬舟の起点・終点ともなっていたため商業が集積して、町場は拡大した。位置的にも郡の南の玄関であったため自然に物資が集まる要素もあった。年貢米をはじめとして鉄などを海産物や日用雑貨と引換えに積荷していた。舟は網干(現姫路市)とを往復し帆船に積替え大坂方面と流通していた。
 城の位置は現在山崎小学校や歴史資料館などとして整備された一角となり、跡形もないが小学校正面には門(紙屋門)が保存されている。
 町場の方はというと、これも国道や県道などが新設されており古い町は形を変えている。しかしいずれも旧市街地の中央を串刺しにはしなかったため、それらに取囲まれた地区には城下町時代を想起させる古い佇まいが残っていた。
 国道と県道に挟まれた北西側旧城下町地区で、街路が格子状に巡り計画された街区であることがわかる。一部は商店街となっているがあちこちに町家・商家建築が残っていた。特に登録有形文化財である梶間家住宅は間口の広い堂々たる建物で、1階部分の格子も綺麗に残っている。
 掲載する写真は15年ほど間を空けて再訪した時のものであるが、歩いていると「よいまちプロジェクト」と書かれた横断幕が掲げられているのを見た。町並の資源を含めて地元は意識されているようで、洋風風の建物が店舗に再利用されている姿もあった。これは前回見られなかったものである。一方で商店街を中心に一部がカラー舗装されたからか、古い町並としての風情は前回より低下したように感じた。建替えられたものもあるだろうしこの程度の変化は仕方ない範囲であろう。外来客を過剰に意識した色がうかがえないのも好印象であった。
 








2019.07再訪問時撮影

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訪問日:2004.11.21
2019.07.13再訪問
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