善光寺門前の郷愁風景

長野市<門前町> 地図 
 町並度 6 非俗化度 3 −大規模な仏具屋街も残る典型的な門前町−






仁王門から本堂に向う辺りの仏具屋・土産物屋街




宿坊街(門前東側)の町並




宿坊街(門前西側)の町並  門前街・宿坊街の周囲にも商家や造り酒屋などが散見される




門前の町並 左:旧藤屋旅館 右:善光寺郵便局
 

 善光寺は古くより宗派に関係なく多くの参拝者があり、全国的にも知名度の上では指折りの寺であろう。善光寺の名は既に鎌倉期には登場していたといわれる。
 戦国の騒乱期、川中島の合戦時には武田・上杉両氏が甲斐・越後にそれぞれ多くの諸仏や宝物を持ち去り、寺は荒廃した。
 甲府善光寺に移されていた本尊は武田氏滅亡後は豊臣秀吉が預り、京都方広寺の本尊としたが、慶長3(1598)年に霊夢の告げにより善光寺に返されたといわれる。本尊を取戻した善光寺は再び活況を呈して、全国各地から参拝者を集め門前町が発達している。信濃の全ての街道は善光寺を目指していたといわれ、寺域内の46の宿坊の他、街道沿いには約30軒の旅籠があり、ある意味壮大な宿場町でもあったのである。 
 寺社の歴史を詳述することはここでは最小に留め、門前の町並について紹介したい。
 重厚な仁王門を潜った先は完全に寺域となり、参道沿いには仏具屋や土産物屋が伝統的な構えで連なり、多くの参拝客の往来がある。店舗群の構えは老舗の商家を思わせる伝統的なもので、その店構えからも門前町らしい高揚感を覚えるものがある。
 門前街の裏道にあたる東西の小路は宿坊街となっており、〇〇院、〇〇坊と書かれた門を従えたもの、板塀を連ねたものなどが連なっている。宿坊群が連続した町並を形成している例は他には余り例を見ることがなく、特殊かつ厳かな風情を感じる。
 さらにこの周辺の地区も、藩政期から庄屋の上に町年寄が置かれた自治体制が取られていた地区で面的な古い町並の広がりを示す。人通りの少ない横路地からも、古い町の雰囲気を強く感じることが出来る。門前町のみならず人の集まるところゆえ、経済の中心として物資の集散地ともなっていたのだろう。古い構えの各種小売店、造り酒屋なども見られる。
 参道をさらに南に外れても、緩い下り坂の双方に門前らしい佇まいの建物が目に付く。洋風の外観を持つものもある。藤屋御本陣と呼ばれる旧藤屋旅館はもと加賀藩主などが参勤交代の折に休泊した場所で、大正14年に越前の宮大工の手で三階建の洋風建築に建て替えられたもの。現在はレストランなどとして利用されている。また角地に目立つ善光寺郵便局は、もと脇本陣が置かれていたところに昭和初期に建てられたもので、このように付近は門前宿場町的な位置も占めていた。
 
訪問日:2004.05.29
2024.06.02再訪問
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2024.06再訪問時撮影       旧ページ