第4号 (03.06.03発行)

町並愛好者の集い・祝島オフ会

    

   関連ページ  柳井津の郷愁風景 祝島の郷愁風景 上関・室津の郷愁風景

 2003年5月24・25日、当HP初めてのオフ会が開催されました。山口県の南東に浮かぶ祝島に行きたいと掲示板で話し合っていたところ、それではご一緒にと私を含め5人がいつの間にか自然にまとまっていました。2月末頃のことです。それぞれ町並を訪ねることを趣味とされる方々の集い。待遠しく感じながらいよいよ当日を迎えました。



以下の行程で予定通り終了しました

第1日目 5月24日(土)
13:00 柳井駅前に集合
15:00 柳井の町を散策後、上関町へ
15:40 上関着
16:00 上関(室津港)より乗船
16:40 祝島港着。宿に荷物を置き祝島の集落探訪
19:00 夕食・懇親会

第2日目 5月25日(日)
7:30 早朝の自由散策後、朝食
12:30 引続き自由散策後、船で上関町へ
13:05 上関(室津港)着。
13:15 専属ガイドの案内で上関の町を散策
15:45 上関発
16:30 柳井駅前着、解散

柳井
  
 数日前までは、日曜までまずまずの天気ということで安心していたが、前日になって下り坂と予報が急変した。不安を抱えながらも予定通り柳井駅前でnomnomさん、続いて七ちょめさんsatopyさんと落合う。初対面ながら、互いの顔はネット上で知っているし、掲示板等でやりとりを連ねて来たので、半ば以前からの知り合いのような感触。いやいやネットの力とはすごいものだ。
 柳井市には有名な重伝建の古市・金屋地区の古い町並がある。一日3便しかない船の出発までまだ時間がある。ここを見逃すことはできないだろう。
 重伝建地区は路面が全て石畳に改修され、雰囲気は出ているがちょっと装いすぎの雰囲気も漂う。しかしそれでも、妻入りで漆喰塗り込めの続く家並は、新しい建物に分断されること無く連続しており、見応え充分。白壁の町並といわれる所以である。
妻入り白壁の町家が連なる柳井の重伝建地区
 うす曇りの天気は町並の撮影には絶好のコンディション。各自自慢のカメラを取り出し撮影に余念がない。私は今でも全くの素人だが、皆さん色々凝っておられマニアックな会話も飛び交う。もう少し私も勉強せねば.....。
国森家で案内の方から説明を受ける
 
 この町並で公開されている町家の一つ国森家では、ご主人から丁寧な説明を受けた。港町であると同時に重要な商業都市として栄えたこの町は、家々も商家のスタイルで、国森家も軒下に跳ね上げ式の「ブチョウ」があり開放的な造りだ。それを上げ下げして頂いたり、屋根裏の「厨子」を案内してもらったりと充実の訪問。
 奥行の深い家々には、通りから何本か裏側の港まで小路が貫いていた。それを抜け港町であったことを示す雁木の跡、そして柳に井戸の、柳井の町名のいわれとなった場所等を巡る。私も3・4回は訪れているはずだが、ここでは七ちょめさんが案内人だ。プロ並の町並探訪術を、この2日間で伝授いただきました。
当日は団体さんもなく落着いて散策できました。

■祝島初日
  
 柳井から上関半島を南下すること30分余り。美しい線形を描くラーメン橋で対岸の長島とが結ばれた上関へ到着する。ここで私が、駐車場所を間違える、そしてカメラを車の中へ忘れてくるという不手際を犯してしまい、発船時刻ぎりぎりとなってしまったが何とか無事に祝島に向けて出発。
 この定期船は島の人にとって唯一の足。長島に点在する集落に寄港しながら海上バスといった雰囲気で地元の客、釣り客などを乗り降りさせる。
 最後の寄港地、四代から祝島までは15分ほど。しかしここは、台風の通り道、太平洋からの余波を受ける瀬戸内でもっとも荒々しい海域である。祝島にはそれを裏付ける暴風対策の練石積で固められた集落が多く残っているという。それをじっくりと見るために我々はここにやって来た。
  
祝島港では先行して島入りしていたKさんと合流する。Kさんは新婚旅行もここを選ばれた祝島をこよなく愛する方で、趣味の絵画は一級品。今日は朝の便で島に渡られ絵を描かれていた。
祝島港に着いた定期船  
まずははやる気持ちを抑え今日の宿、民宿「くにひろ」さんへ。しかしそこへ至る路地から、いきなり練石積の家並が展開し、何か異国に来たような雰囲気だ。
 荷物を置き、夕食の時間まで早速Kさんに集落の主だった所を案内していただくことになった。
 船上から見た集落は斜面を駆け上るように立体的に連なる感じだったが、歩いてみると意外と平坦である。しかし少し奥に入ると段々畑のような急な石積が現れ、その周辺にも家々が軒を接していた。島にはここ以外ほとんど平地がないのだ。

Kさんの案内で迷路のような路地を歩く
石を泥、漆喰などで練積にした独特の石垣が、集落の多くで見られます。 生活の色が溢れる路地風景
 

 
 

 夕食時からいよいよ懇親会。もっとも懇親会という固苦しいものではなく、5人それぞれが思い思いに町並について意見を交すのである。専門家の集まりならばそこで意見の衝突でもあるが、そこは町並が好きで集まった者同士のこと、こういう町並の見方もあったのかと新鮮な眼で時間はあっと言う間に過ぎていく。各自自分の撮影した町並写真をPC上で公開したりと、有意義なひと時となった。特に全国の離島や漁村集落などを訪ねられているnomnomさんの脚力には脱帽だった。純粋に町並が好きという人々が、個人的に集まる機会はとても少ないもので、貴重なひと時だった。


■祝島2日目
  
 昨夜は酒を片手に遅くまで談義していたにも関わらず、私が6時前に眼を覚ますと既に大半のメンバーが早朝の散策に出かけている。今日の天気が心配で早めに始動しているのだ。幸い雲は厚いが雨は落ちていない。乗り遅れまいと私も、昨日歩いた集落を、もう少し路地の中まで踏み込んで歩く。


 朝食後、今度は各自で思い思いに散策、撮影に出かける。Kさんは雨を想定して、部屋の中からもう1枚絵を描き始める。幸い2階にある部屋からは、海に向って開ける甍の波が見渡せる。
 路地奥にて。屋根と石積が一体化しています




 集落の奥に向うとこのように入母屋の大きな家もあるのです。それにしても密集した家並ですね。  高台から集落全体を見る
 satopyさんは最近凝りだした野鳥の撮影にも熱中。私もすこし真似をするもタイミングがつかめない。satopyさん、七ちょめさんと集落が見下ろせる所へ登ってみた。どんどん高みにこの島としては珍しい車の通れる舗装路が続き、所々に石垣を積んだ段々畑、そして枇杷畑が見られる。ここは枇杷の産地で、民宿でも採れたての枇杷をご馳走になった。
 その後、民宿のある付近の町の中心部から、港を挟んで反対側も歩いてみた。この辺りにくると平地がほとんどなくなり、高い石垣の上に家々が築かれている。平地から拡がっていった比較的新しい地区なのかと思う。
 最後の頃に少し、雨に降られたがそれまでに存分、集落を縦横に巡れ皆さん満足のご様子だった。


■上関
 
 祝島から上関に戻る間に運良く雨は上がり、半島側の室津にある「四階楼」へ。この一際目立つ擬洋風建築に接して、「上関郷土史学習館」がある。今回上関の町並を訪ねるに際し、ここを拠点に活動されている地元のボランティアグループ「かみのせき郷土史学習にんじゃ隊」に案内を依頼することにした。
「にんじゃ隊」の的確な案内のもと、本土側の室津を散策する
 町は四階楼のある室津と、橋を渡った長島にある上関に分かれているが、どちらも中世以来の瀬戸内海航路の港町で朝鮮通信使も寄港した歴史深い所だ。海岸沿いの道路から一筋山手に入ると、今でも妻入りの古い町家群が残り、往時の姿を感じさせてくれた。
雰囲気のある路地でした(室津地区)。
上関地区は集落が斜面上にも及び、人がすれ違えるだけの迷路のような路地を辿りながらの散策です。 上関地区で最も古いといわれている町家


 私はここも数回歩いているはずなのだが、案内されるうちに今まで見落としていたところも多く、初めて訪ねる町のような感覚で歩いた。もともと郷土史を専門とする方々だけに、主な史跡の案内も的を得ており、このにんじゃ隊を起用したことは成功だった。ボランティアとはいいながら「学習館」でのコーヒーと名物「鳩子の天ぷら」も出していただき、恐縮恐縮である。町並そして地元の人ともにいい印象のまま、この会を締めくくることが出来た。
 「にんじゃ隊」のお二人にお世話になったことを、この場を借りてお礼申し上げます。




港を司った上関番所(移築)前にて

 心配していた天候にも大きく影響されることは無く、予定通り終えることが出来ました。オフ会は今後も継続して開催される予定で、また楽しみが増えました。専門家でない、町並を愛する人々が寄り合う貴重な場、新たな参加希望者も大歓迎です。



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